おきよせんべい@飫肥
以下、http://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/chiiki/seikatu/miyazaki101/aji_hana/034.htmlから抜粋。
「おきよせんべい」について語るには、どうしても創始者小玉キヨのことに触れなければならない。
キヨは1867(慶応3)年に日南市飫肥町に生まれた。87(明治20)年、廃藩で職を失った武士たちのために、せんべいづくりの職業講習が開かれ、キヨもそれに参加した。キヨは習った製法に工夫を加え、92(同25)年、飫肥町鳥居の下でせんべい屋を開業した。
キヨの1日は、朝3時に起きてもち米を蒸すことに始まった。足踏み式のきねとうすで、もちをつき始めるのが6時ごろ。その音が聞こえてくると、近所の人は「おきよさんが起こしている」と目を覚ました。
キヨの名前と、うすをつく音で起こされることから、だれ言うともなく、「おきよせんべい」と呼ぶようになったという。
ついたもちは、鉄製の型に入れて、1回9枚ずつ焼いていく。松の形は飫肥城の松のイメージであろう。2枚のせんべいを重ね合わせ、その中に上質の砂糖でつくったアメを塗る。
このせんべいの厚みと、アメを薄く塗るのが秘けつで、キヨはせんべいの間に一銭銅貨を入れて振りながら、その音の具合で厚みを決めたという。
昔は、日向木炭の樫小丸(かしこまる)で焼いた。上質の炭は固くて、火持ちがよく、炎が出ないので熱が全体に行きわたり、いいせんべいが焼けた。
日に700枚のせんべいを、食事の時間に交代するだけで、夕方まで焼き続けた。ほんのりとした甘味と香りに、舌ざわりのよさで、おきよせんべいは、1枚も残ることがなかった。
キヨは若いころに2度結婚したが、離婚して子どももなく、生涯をせんべいづくり一筋で過ごした。1949(昭和24)年、83歳で亡くなった。ポーツマス条約を締結した明治の外交官小村寿太郎は、キヨのいとこになる。
「おきよせんべい」は、キヨからおいの小玉健一さんと嫁の昌子さんに受け継がれ、今は三代目の和則さんが1日1,300~1,400枚を1枚、1枚焼き上げている。飫肥の城下町ならではの風雅さと素朴な味で、県外からの注文も多い。20枚入りから各種ある。個数が多いときは、1週間ぐらい前まで予約注文を受け付ける。乳幼児の離乳食にと買いに来る人もあるという。
(抜粋終了)
日本が誇るべきお菓子を、が姉のために持ってきてくれました。
祖母曰く、ここの飫肥せんべい以外は、偽物だということです。
和風のウエハースという感じです。
口に入れた瞬間に、口の中でとけていき、ほんのり甘い!
天皇皇后両陛下に献上する御菓料に指定された逸品です。
ひとつひとつ手作りなので、2週間ほど前に予約が必要なのだそうです。
飫肥は、小村寿太郎の出身地として有名ですが、飫肥天という魚肉を練った揚げかまぼこも美味しいので、
飫肥に行った際には必食です!
住所:〒889-2535 宮崎県日南市飫肥2丁目6−50
TEL:0987-25-1087 ※要予約です!!